多くの人が「やる気が出ないから、まだ取りかかれない」と口にします。
会議の準備、プロジェクトの立ち上げ、メンバーとの面談
―重要だとわかっているのに、なかなか着手できない。
そんな経験は、管理職の皆さんにも身に覚えがあるのではないでしょうか。
しかし、実際には「やる気が出たらやる」ではなく、「やるからやる気が出る」のが本当の順序です。
この違いを理解できるかどうかが、個人の成長にも、チームの生産性にも大きな影響を与えます。
本稿では、やる気と行動の関係を心理学的な視点から整理し、
管理職として組織にどう働きかけるべきかを考えていきます。
「やる気が出たらやる」の落とし穴
「やる気が出たらやる」という言葉は、一見もっともらしく聞こえます。
気持ちが整ってから取り組んだほうが、質の高い成果が出せるのではないか
そう考えるのも自然なことです。
しかし、やる気を「気分」として捉えると、どうしても不安定になります。
感情は天気のように変わりやすく、待っていても都合よくは訪れません。
むしろ、人は面倒なことや不確実なことを前にすると、脳が「行動を先延ばし」しようとする傾向があります。
心理学ではこれを「回避行動」と呼びますが、私たちの脳は、労力やリスクを感じる課題に対して、
無意識に距離を置こうとするのです。
そのため、「気分が乗ったらやろう」と考えるほど、行動のタイミングを逃してしまいます。
結果として、締め切りギリギリになって焦りながら取り組むことになり、
本来発揮できたはずのパフォーマンスが下がってしまう
こうした悪循環に陥っている人は少なくありません。
組織においても同じ構造が存在する
この構造は、組織の中でも繰り返されます。
「メンバーのやる気が出てから任せよう」と待つマネジャーほど、チームの動きが鈍くなります。
メンバーが自発的に動き出すのを期待しているうちに、
機会を逃し、プロジェクトが停滞していく。
あるいは、「モチベーションが下がっている」という表面的な問題に目を奪われて、
本質的な構造改善に手をつけられない――こうした状況は、多くの職場で見られます。
逆に、小さく動かす仕掛けを作れるマネジャーは、やる気を「つくる」ことができます。
感情を待つのではなく、行動を促す。その結果として、メンバーの意欲が後からついてくる。
このメカニズムを理解しているかどうかが、マネジメントの成否を分けるのです。
行動がやる気を生み出すメカニズム
では、なぜ「行動すればやる気が出る」のでしょうか。これには、脳科学的な裏付けがあります。
心理学では「作業興奮(Work Excitement)」という現象が知られています。
これは、ドイツの心理学者エミール・クレペリンが提唱した概念で、
人は行動を始めると脳内でドーパミンが分泌され、徐々に集中力や意欲が高まるというものです。
つまり、行動が先、感情は後です。
これは日常的な場面でも実感できます。
たとえば、掃除をする気が起きなくても、
とりあえず机の上を拭き始めると、気がついたら部屋全体を片付けていた。
読書をする気分ではなかったのに、1ページ開いたら止まらなくなった。
こうした経験は誰にでもあるはずです。
小さな行動がエンジンをかける
重要なのは、「完璧にやろう」と構えるのではなく、とにかく小さく始めることです。たとえば、
- 5分だけ資料を開く
- 会議のアジェンダを1行だけ書く
- 見積書のフォーマットだけ作る
- メールの件名だけ入力する
- 企画書の目次だけ箇条書きにする
といった「最小限の行動」をきっかけに、意欲が動き出します。
この最初の一歩さえ踏み出せれば、脳はその行動に意味を見出し、続けたくなるように設計されているのです。
「やる気が出たらやる」は、気分に依存する受け身の姿勢です。
一方、「まず動く」は、自らエネルギーを生み出す能動的な姿勢といえます。
管理職として、この違いを自分自身で体感し、言語化できることは、極めて重要です。
チームで「やる気を待たない文化」を育てるには
では、この原則を組織に適用するとどうなるでしょうか。
管理職として重要なのは、メンバーが”やる気を待たずに動ける仕組み”を整えることです。
「やる気を待たない文化」とは、
メンバーの感情や気分の変動に依存せず、組織の仕組みや習慣によって行動が自然に生まれる状態を指します。
これは決して、メンバーを無理やり動かすことではありません。
むしろ、心理的な負担を減らし、誰もが「動きやすい」と感じられる環境を整えることです。
感情は個人の内面の問題だと思われがちですが、実際には環境によって大きく左右されます。
仕組みやルール、言葉のかけ方、評価の視点
これらをデザインすることで、チーム全体の行動量と質を底上げすることができます。
以下、具体的な実践方法を6つのポイントに分けて解説します。
1. 行動を細分化する
「提案書を作る」という指示では、メンバーは何から手をつければいいかわからず、立ち止まってしまいます。しかし、「冒頭3行だけ書く」「過去の類似資料を1件探す」「見出しだけ決める」といった形で、取りかかりを軽くすると、動き出しやすくなります。
この「タスクの粒度を細かくする」という技術は、プロジェクトマネジメントでは基本ですが、日常のマネジメントにおいても極めて有効です。特に、経験の浅いメンバーや初めて取り組む業務に対しては、最初のステップを具体的に示すことが、行動のハードルを下げる最良の方法です。
具体的な実践例:
- 会議の終わりに必ず「誰が・何を・いつまでに」を確認する。その場で全員に復唱してもらうことで、曖昧さを残さない
- タスクを「30分でできる単位」に分解する。「市場調査」ではなく、「競合3社のWebサイトを見て特徴を箇条書きにする(30分)」と分ける
- 「今日やること3つ」を朝礼で宣言する習慣をつける
また、自分自身のタスクについても、「今日中に企画書を仕上げる」ではなく、「15時までに構成案を作る」「17時までに導入部分を書く」と分けることで、心理的負担を減らし、着手しやすくなります。
2. 「完璧を待たない」ことを許容する
多くの職場では、「完成してから見せる」「ある程度形になってから報告する」という暗黙のルールが存在します。しかし、この文化は行動にブレーキをかけます。
具体的な実践例:
- 週次ミーティングで「今週困っていること」を共有する枠を設ける。成果報告だけでなく、途中状態を話せる場を作る
- 「ドラフト版でいいので見せて」を口癖にする。上司がこの言葉を繰り返すことで、メンバーは未完成でも出していいと安心する
- 「叩き台歓迎」という言葉を使う。「まず叩き台を作ってみよう」といった言い方は、心理的ハードルを大きく下げる
完成度30%でも共有できる空気があれば、手戻りも減り、結果的に質も上がります。完璧主義の文化に陥らないことが、チーム全体の行動量を増やす鍵となります。
3. 行動を見える化する
人は、進んでいる実感があると、次の行動が生まれやすくなります。そのため、タスクボードやプロジェクト管理ツール、進捗共有の場などを活用して、動きを可視化することが重要です。
具体的な実践例:
- Trello、Notion、Asanaなどのツールを使い、「未着手→進行中→完了」の流れを全員が見られるようにする。付箋を使った物理的なボードも効果的
- 日報や週報で「できたこと」を記録する習慣をつける。重要なのは、成果の大小ではなく「動いたこと」そのものを記録すること
- 週次のチームミーティングで「今週やったこと」を一人ひとりが発表する時間を設ける
小さな進捗でも他者に見られることで、「次も何か報告しよう」という動機が生まれます。可視化されていない努力は、本人にとっても他者にとっても「存在しないもの」として扱われてしまうのです。
4. 小さな達成を承認する
「結果が出たら褒める」という文化は多くの組織にありますが、それだけでは不十分です。むしろ、進んだこと自体を評価することで、「動くと気持ちいい」という感覚を定着させることができます。
具体的な実践例:
- 「よくやった」ではなく、「昨日の資料、構成がわかりやすくてよかった」「あの件、スピード感あって助かった」と、具体的な行動を承認する
- 「行動量」を可視化して褒める。「今週5件の顧客訪問をこなしたね」「3つの企画案を出してくれてありがとう」と、量そのものを承認
- 月に一度「ベストアクション賞」を設ける。成果ではなく、「最もチャレンジした行動」「最も協力的だった動き」など、行動にフォーカスした表彰をする
「資料の骨子ができたね」「スケジュールを整理してくれてありがとう」「あの件、よく調べたね」といった声かけは、一見些細に見えますが、行動の継続を強く後押しします。
5. 「失敗を責めない」安全な環境を作る
やる気が出ない背景には、「失敗したら怒られる」「ミスが許されない」という恐怖心があることも少なくありません。心理的安全性が低い組織では、メンバーは新しいことに挑戦せず、最小限の動きしかしなくなります。
具体的な実践例:
- 「試してみよう」を合言葉にする。完璧な答えを求めるのではなく、「まず試してみて、ダメだったら修正すればいい」という姿勢を組織の共通言語に
- ミスが起きたとき、犯人探しをするのではなく、「次に同じことを防ぐには?」と未来志向で話し合う
- 上司自身が失敗談を話す。「自分も昔こんなミスをした」「この判断は間違っていた」と率直に語ることで、メンバーは「失敗してもいいんだ」と感じられる
振り返りミーティングで「今月の失敗と学び」を共有する時間を設けるのも有効です。失敗を「学び」として扱う文化が根付けば、メンバーは恐れずに行動できるようになります。
6. 「ルーチン化」によって思考負荷を減らす
意志の力には限界があります。毎回「やるかやらないか」を判断していると、脳は疲弊します。だからこそ、習慣として組み込むことが重要です。
具体的な実践例:
- 定例ミーティングを固定する。毎週月曜10時、毎月第一金曜15時など、時間を固定することで「考えなくても動く」状態を作る
- チェックリストやテンプレートを整備する。「何をどの順番でやるか」が決まっていれば、判断コストが下がる
- 朝の15分を「タスク整理タイム」にする。チーム全員が始業後15分で今日やることを整理し、Slackやチャットで共有する
ルーチン化によって、新人でもベテランでも同じ質で動けるようになり、組織全体の生産性が安定します。
やる気の有無を議論するより、動きを起こすデザインを
管理職として陥りがちなのが、「このメンバーはやる気があるのか、ないのか」という二元論的な見方です。しかし、やる気とは固定的な性質ではなく、状況によって変動する感情です。同じ人でも、環境や関わり方次第で、驚くほど行動が変わることは珍しくありません。
ですから、「やる気がない人」とラベルを貼るのではなく、「この人が動き出しやすくなる条件は何か」を考えるべきです。それは、指示の出し方かもしれませんし、役割の明確さかもしれません。あるいは、心理的安全性の欠如が背景にあるかもしれません。
やる気の有無を議論するより、動きを起こすデザインをするほうが、はるかに再現性があります。感情論に終始せず、構造を変える。それがマネジャーの仕事です。
まとめ:やる気は「待つもの」ではなく「つくるもの」
やる気が出ないときこそ、まず小さく動いてみる。その一歩が、次の意欲を呼び込みます。そしてマネジャーの役割は、メンバーがその「最初の一歩」を踏み出せる環境を整えることです。
やる気は結果であって、条件ではない。
この原則を、自分自身の働き方にも、チームの運営にも、組織文化にも、一貫して適用してください。行動が感情をつくり、感情が成果を支える。その循環を仕組み化できるチームこそ、安定して成果を出し続ける組織です。
「やる気が出たらやる」から「やるからやる気が出る」へ。この視点の転換が、あなた自身とあなたのチームを、次のステージへと導くはずです。
「やる気を待たない文化」は、特別な制度や大きな投資が必要なものではありません。日々のコミュニケーション、会議の進め方、評価の視点、ツールの使い方――こうした小さな積み重ねによって形成されます。
重要なのは、「動きやすさ」を設計する意識を持つことです。メンバーが立ち止まっているとき、「やる気がないのか」と判断するのではなく、「何が障害になっているのか」を問う。そして、その障害を取り除く仕組みを作る。
それが、管理職としての最も重要な仕事の一つです。やる気は結果であり、環境が整えば自然に生まれます。まずは、明日の会議から、一つでも実践してみてください。
